心と体に滋養と自愛

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2009年 11月 30日

荒野を目指して 

北海道ツーリングで見た道東の景色は、空も大地も広大そのものでした。
遠くで雨雲が雨を降らしているのが見えるんですよ!だだっ広い平野が続く世界を、視界の広いバイクでの体験が、この後の人生を変えることになります。

小田原に帰ってからもあの景色を反芻するうちに、ふと、海外はどんななんだろうと思うようになります。メンテナンス会社以前は4tトラックで沖縄と離島以外は全国を回っていて、自分で走る日本国土の距離感覚は19歳の時にある程度出来ていました。目的地に思いを寄せるだけで、そこまでの時間感覚やその時に使った体力、風景、道路のリズムなどが蘇ります。正直なところ北海道のスケール感も一度走ってしまうと思い出せるのです。

必然的に飛躍的に、じゃ、海外はどうなの!?
となり、海外バイクツーリングOBの方が主催されるサイトを発見し、運営者とコンタクトを取り、日本ではまだ少ない海外ツーリング経験者と出発予定者が集うバイクキャンピングでのオフ会に幾度も参加して、600万あれば予算的には世界一周イケるとの情報を得ます。もちろん強盗おいはぎ誘拐役人不当賄賂要求も当たり前の国もいっぱいあるし、それらの知識と運とか察知できる勘も必要だし、言葉も覚えなきゃいかんし、大陸間でのバイクを運ぶ船会社との交渉も必要だし、もう他にもあげたらキリないけど、それでも世界はすごいし広すぎるからとにかく行った方がいいよ!と諸先輩同志の皆さんのお言葉を頂き、先々の人生がどうの、家のローンがどうの、結婚がどうの、でなくバイクで海外行くために金を稼ごうとなりました。

社会貢献のためではなく、完全に自己実現のためだけに仕事探しをするのですが、工業高校卒の私が一般企業に入ったのではとてもおっつかないので、自分が出来そうな率の良い仕事を考えます。特技、能力、経験、人間性、それらを考えるとやっぱ運ちゃんだろ、となりまたドライバーへ。4tドライバー時代に2tから10tまでの多くのドライバーに聞いていた勤務時間や作業内容を思い出すと、拘束時間はトラックの大小いかんに関らず10~14時間は働いていて朝早いのは共通。土曜日も出勤。大きい車ほど手積みの可能性が低い。給料は大きい方がどうやら良いらしい。それらを考えるとどうせ拘束時間が一緒ならデカイ方が率が良さそうだ、と踏み、トレーラーしかねぇなと思い至ります。

手持ちの免許は中型二輪に普通自動車しか持っていないので、大型自動車とけん引の免許が必要になりますが、二つの免許を教習所で取る資金がなく、大型は試験場で取ることに覚悟を決めます。けん引はあのクネクネ動く謎の動きが傍目で全く別の乗り物に見え、一発試験で取れる自信はまずないので、けん引免許を教習所で、残り少ない資金を投資します。教官からは大型もないのにお門違いだなお前、乗用車で船でも引っ張るのか金持ちだなお前、と罵られますが、こっちはまだ見ぬ世界のために真剣そのもので、全く勘の利かないトレーラーに苦闘しながらも予定教習5時間オーバーでなんとかけん引免許を取得します。

肝心の大型試験ですが、今はどうかわかりませんが大型自動車は車両の貸出とコース開放を土日にしていて、大型自動車取得から3年以上の経験者が指導者として横に乗れば、試験には使われない古い大型自動車でコース内で試走をさせてもらえます。このときばかりは親父に本当に感謝で、当時現役の大型ドライバーだったお父様に同乗してもらい、試験本番用の3コースを頭に叩き込み、車両のホイールベース、ハンドル切れ角、車両ミラーの突き出しを把握。試験車両は試験官が助手席からでも左右のミラーが見やすいようにミラーフレームが極端に突き出ていて、試験本番では多くの受験者がこのミラーをコース障害物に接触させて一発中止になるやっかいなものです。ここを事前に把握出来ていたのが勝因になりました。

試験は運良く1回で合格。
2、3回は覚悟していたのですが、このときばかりは本当に嬉しかったです。最初から狙っていたことですが、試験本番で安全のための目視確認などの作法は、教習所で身につけていた直後でまだ暖かったのも功を奏しました。本番では難癖付けて最初の1回はまず落とされると聞いていただけに嬉しさも一入。これでハローワークで物色していた仕事に応募できるんだ!と希望の光が、映画里見八犬伝でのお釈迦様?観音様?が厚い雲間から現れたときのような神々しいまでの光芒が、ぱーっっと差し込んでいました。

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いよいよ自分史になりました。
写真との出会いはこれからです。
よろしかったらあと数回続きそうですがよろしくお願いします。
明日も仕事。もう寝ないとやばいです。
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by yagisix | 2009-11-30 00:20
2009年 11月 27日

続 写真との出会い

昨日は勢いですんごい長文になってしまいました。
お付き合い下さった皆様、ありがとうございます。

昨日の続きです。
基本はハッピーお気楽路線の私ですが、このメンテナンス会社の個々のグループ間の人間関係が極端に悪くなり、失意のうちに退職しました。創業メンバーとしての、生え抜きの意地で頑張ろうとしたのですが、事務所内の極度に冷えた対人関係の冷気で凍え死にそうになり、ラブアンドピースを唱えても虚しいだけ。ここでの30代以降の将来像は生ける亡霊になった私が幽鬼のごとく作業場を徘徊する姿が視え、社をあきらめました。提出すること5回目の退職届がようやく受理され、その後の10か月は挫折感いっぱいの無職の日々を過ごしました。7年間在籍したメンテナンス会社も、立ち上げメンバーとして会社を盛り上げようと頑張ってきましたが、本当に自分の力の無さを思い知らされました。

働く気力が完全に失せた無職の期間に、無性にバイクで北海道ツーリングをしたくなり、足になるバイク(カワサキスーパーシェルパ250cc)、衣類のヘルメット、グローブ、ブーツ、ジャケット、食住のキャンプ用品を購入し、北海道を10泊する旅に出ました。
苫小牧に着いてから、国道を海沿いに沿って時計回りに、野宿キャンプをしながら移動を続けます。
父親が急逝され実家の松前漬け工場を継がざるを得なくなった、下北沢でロックバンドのヴォーカルをしていた友人を訪ねて函館啄木公園近くの彼の工場で再会を果たし、積丹で旬を逃した雲丹を食し、小泉元首相が北朝鮮で金正日総書記に拉致を認めさせ謝罪があった報を札幌大倉山ジャンプ場近くのラーメン屋で知り、破産した夕張ではメロンを食べずに通過して富良野麓郷の森の近くのカフェでカレーを食べて田中邦衛の遺言も噛みしめ、羅臼の道の駅の目が覚めるような超美人のインフォメーションのお姉さんに驚愕し、トド肉カレーは完全に怖気づいてさんまを食べながら内田有紀は可愛かったと独り旅の身を浸り、地平線の見える多和平キャンプ場でテント設営をしているところ、こちらも独り旅のトレーラーのキャリアカーOBの方と運命的な出会いをします。

キャンプ場の東屋を陣取ってジンギスカンを焼きながら、蒸かしたじゃがいもを御馳走になりながら、トレーラーについて興味本位で運転から荷扱い(乗用車の乗せ下ろし)にいたるまで、いろいろと訊ねていましたが、まさかこの4か月後に私も同じトレーラーのキャリアカー乗りになるとは全く予期していなかったのですが。

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写真との出会いを語りたかったのですが、自分史を語ってしまいました。
体型の所以も語ってしまいました。騙りではなく脚色もなくこの身に起こったことです。
続きはまた明日します。
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by yagisix | 2009-11-27 21:17
2009年 11月 26日

写真との出会いについて語りたいと思います

またまたほっぽらかして申し訳ありませんでした。
11月は熱が出たりひいたり、が延々3週間続き、すっかり果ててました。
菌も検査してもらい電話回答ではインフルエンザではなく、「まぁ風邪でしょ、安静に」と。
良くなりゃしねぇじゃんか。

そんな状態でも出勤時間には不思議と熱は治まり、なんとか穴を開けずに走れました。意識もばっちり覚醒して、深夜のラジオにつっこみを入れられるまでに回復。

ラジオつっこみといえば、先日NHKラジオ深夜便で松山千春の特集があって、代表曲「大空と大地の中で」が放送時間の尺足らずで割愛されたことがありました。パーソナリティがリスナーからのメール、FAX、はがき、封書の返答に時間を割いた為だと思いますが、頭の中では「長い夜」のあとにくるものと期待していただけにがっかりも一入でした。あれは結構溜まるものがあります。エアーマイクを口元に、横置きに添えてスタンバっていただけに。歌詞はほとんど知りませんが、私の中では歌い出しの、道東の青い空が広く、高く描かれていました。

ラジオは置いといて、風邪らしきからなる発熱が悪化するのはだいたい夕方で、ただただ布団の中でじっと耐えたり、悪い時は上下が分からなくなるぐらいに混迷して怖い思いをしました。人生の中でこんなに熱に苦しめられたのは今回が初めてです。今にして思えば、実はインフルエンザだったのでは。

そんな上下不覚になりつつも、深い睡眠を繰り返すうちに、頭というか心のもやもやにワイパーをかけたかのような、すっきり感に満たされるひと時が幾日かありました。しかるべきその時の誰かに、洗いざらい悩みを打ち明け、しかるべき回答を得て、すっきりさせて頂いたあの感覚、幸福感。起きたら根拠もなく幸せ。
なんのきっかけもなくそんなことが幾度もあると、ご先祖様が最期にいい思いをさせてやるから潔くお迎えに応じろ、って詰められるんじゃないかと、やや不安になりましたが、まだ大丈夫。

今のところそれらの兆しはなさそうですが、あの幸福感はなんだったのだろう。ハッピー期間は起きてから短いと2、3分。長いと3時間ぐらい保ってくれます。


で、やっとこれからが本題なのですが、その幸福感とは別にやっぱり写真について色々と、悶々と、あーだこーだと考えに考え抜いておりました。この期間、これについての回答は得られず、風邪らしきものが回復した後のほんの3日前にシンプルに結論を得ました。先ほどの幸福感は風邪らしき時期の一週間程前のことですから、なんだったのでしょうか。まぁいいか。

悶々を探るべく、過去を振り返ってみると、私の4、5年足らずのよちよち写真撮影人生、よちよちにも関わらず最初から仕事で撮影をしていました。
撮影といっても本業カメラマンが写す、ズバリあれらの素敵なカッコいい絵ではなく、最初は転職先の印刷会社での企業内ベンチャーで始めた自社発行の無料子育て情報誌の、育児記事やイベント、プレゼントやサンプル品、広告商品や店舗など、小さな構成からのスタートでした。カメラマンに報酬を支払える余裕がなかったから、広告営業だった私が「俺やるよ」と。
撮影係りを立候補したきっかけは、20代にミニラボと呼ばれる写真関連機器、主にネガフィルム自動現像機や引き伸ばし機(写真をプリントする機械)のメンテナンスマンをしていたこともあり、フィルムやプリントの基礎教育を受けていたので、露光の過不足やピンボケなどの失敗はたぶん少なかんべ、という経験からです。

ちなみにそのメンテナンスマン時代に上司から一眼カメラ、それもニコンF3の購入を強く勧められ、お金もあったし写真の仕事へのやる気もあったので、いきなりニコンF3HP 50mm(確かF1.8)レンズ付きを16、7万円ぐらいで新宿さくらやであまり考えもなく意気込みだけで購入したことがあります。
当時はさしたる被写体との出会いもなく、絞り、シャッタースピード、ISOなどが相関する露光メカニズムや被写界深度のボケの変化などを座学通りに試して、メンテナンス機のテストプリントでなんとなくこれかと実感して、撮影の関心がほとんど生まれずその上司に売却を願い出ました。ところが品渡しの際にレンズに埃があるよ、からはじまりファインダーにもミラーにも、終いにはレンズマウントにも埃があるじゃないか、手入れがなっとらん、と難癖を重ねられ9万に値切られたと記憶しています。今思えば埃ぐらいで査定を徹底的に落としはしねぇぞ。このとんでもねぇ上司、3年後にある事件で更迭され別部署へ飛ばされました。確かその上司の口癖は「一事が万事」だったような気がする。

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写真と出会いから今後について書こうと思ったのですが、長くなり過ぎました。
続きは明日にでも書きます。
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by yagisix | 2009-11-26 22:52